幸福論

幸せとは何だろう?不幸とは何だろう?

幸せの本質とはあなたの願い。そして、不幸の本質とは他人の願いです。

幸せとはあなたの願いであり、そして、不幸とは他人の願いです。

信じられないかもしれませんが、それがいろいろな人に見えなくなっている真実です。

他人に良かれと思って干渉をすることで、私たちはお互いを不幸にしあっています。

これが、世間に満ちあふれている不幸の種、その原型です。

幸せとは自分が望むこと。不幸とは自分が望まないこと。

自分が望まないこととは、基本的には他人の行動によって引き起こされています。

つまりは、他人の望みが不幸の種を生むのです。

もしくは、無知な自分の行動が理由。

それが、世間にありふれた不幸の種の正体。

誰かの願いが介在しない不幸の種は、基本的に存在しません。

しかし、誰かの願いが不幸を生むという事象は、悪いことばかりではありません。

お互いの望みが共鳴しあう時、私たちは幸せを共有し合うことができるからです。

その瞬間ために、私たちは生きていると言ってもいいくらいです。

親しい人と幸せなひとときを共有しあうという奇跡が重なることで、私たちは、たった一人では体験できないような幸せな世界を体験します。

ものごとには正しいメリットとデメリットがあります。

人が幸せに生きるための条件は、自分と望みが一致する親しい人と共に時間を過ごすこと。

人が不幸に生きるための条件は、自分と望みが一致しない人と、お互いの望みを押し付け合いながら無理をして生きること。

最も人が不幸に生きるための条件は、自分以外の他人の幸せが許せなくて、自分以外の他人が不幸になることばかり望んでいる人と共に時間を過ごすこと。

これが、どんな時代でも変わらない、普遍的な人の世の法則です。

この事実を理解している人は、他人に余計な干渉をせず、期待もせず、他人の余計な干渉の影響も受けずに、自分で物事を判断して、幸せに生きていくことができます。

このことが理解できていない人は、他人に余計な干渉を繰り返してトラブルを生み、他人の余計な干渉に悪い影響をされ続けることで、自分の人生に不幸を生んで生きます。

これは、1000年後には当たり前になっている常識。

正しい理解を。それこそが、あなたとその周りの人たちを幸せに導くことでしょう。

あなたが幸せでありますように。

あなたの願いが叶いますように。

あなたの悩みと苦しみが消えてなくなりますように。

あなたが今より賢くありますように。

祈りを込めて。